農と自然療法 ~自死遺族、震災を乗り越えて~

父親の自殺、東日本大震災からの避難、海外就職を経て今は農と自然療法へ

父親のこと(3)

父親の葬儀は亡くなった4月16日の次の日に近所の葬儀屋さんで行われました。

私と母、祖父母、それから父の妹家族でひっそりと。その日は朝から雨が降っていて。きっと父が泣いているのかな、と思ったのを覚えています。

私はそこで初めて父の遺体と対面したのですが祖母に「見ない方がいい」と言われました。どうしようか一瞬迷ったのですが、その後すぐに葬儀が始まってしまい考える間もなく父と離されてしまいました。今でも見るべきだったのか、見なくてよかったのか分からずにいます。

後日、祖母の日記をたまたま読んだ時に父の遺体の様子が書かれていました。体は右側から落ち、頭の右側は脳が見えていたそうです。

当時、私は埼玉の実家をでて神奈川で一人暮らしをしていたため、最後に父に会ったのがいつだったのかも良く覚えていません。

亡くなった当日や次の日に自分が泣いたのかどうか覚えていません。また葬儀屋さんでも最初は特に泣くこともなく祖父母や叔母と普通に会話できていました。ただ火葬の時、この瞬間に涙がバーッとあふれました。火葬する=もう確実にいなくなってしまう。当たり前のことなんですが、この瞬間に身をもって感じることです。普段泣かない祖父母もぼろぼろと泣いていました。火葬後、遺骨を骨壺に移す時、この時はもう涙は出ませんでした。あぁ骨になってしまったんだなぁと。

あっけないものでした。

骨壺を実家に持って帰り、と言ってもマンションで神棚もないので葬儀屋さんが用意した簡易式の神棚に写真と骨壺、お供えを置きました。

この時の葬儀屋さんがとても親切で、家に骨壺を持ってくる時も周りに分からないようにしてくれたり、私の会社に出す忌引証明の相談にものってくれました(本来、忌引証明には死亡診断書が必要なのですが、そうすると自殺と分かってしまうので、葬儀の領収書でどうですか?とアドバイスをくれました)。

この時、葬儀屋さんというのは本当に大切な職業なんだな、と実感しました。

先程も書きましたが、会社の忌引証明に葬儀の領収書を出そうとしたのですが断られました。大きな会社だったためそういうところに融通がきかず止む無く死亡診断書を取りに病院へ。診断書の志望理由には「脳挫傷 自宅5階ベランダから飛び降り自殺」とはっきり書かれていました。。

葬儀に会社の人を呼ぶことも出来ず、でも忌引で1週間お休み。しかもこの後うつ病で長期の休職もします。うつ病との戦いの始まりです。

 

Natsuki